456-Opening the future




 ミッドヘイズ上空――

 風が激しく吹いていた。
 渦を巻く暴風は、転変神ギェテナロスを中心にして、次第に勢力を増していく。

 彼が笛を吹けば、風が吹く。

 空に響き渡るのは不気味な曲。
 転変神ギェテナロスは、そんな暴風を演奏しながら、眼下を見つめる。

 精霊たちの群れが、秩序だった陣形を敷く神の軍勢と衝突し、それを蹴散らしていた。

 軍神ペルペドロは大精霊レノに歯が立たず、不可解極まりない現象を巻き起こす精霊たちの魔法に、軍勢はみるみる斬り裂かれていった。

 要のアナヘムも、シンと睨み合ったまま、身動きを取ることができないでいた。
 その間に魔皇エリオは部隊を立て直し、後方に再び魔王城を建てて、新たな防衛線を構築し始めた。

「アハハッ、いつまで手こずってるのさ、アナヘム。早くしないと、ボクがぜんぶもらっていっちゃうよー。この曲はもう飽きちゃったからさ」

 風に腰かけるように座り込み、ギェテナロスは神の笛を口に当てる。

「変わろう、替わろう、さあ、換わろう。それはそれは夜のように、ときに移り気な秋旻(しゅうびん)のように」

 転変神笛イディードロエンドから、雷鳴のような音色が響き始める。

 これまでの演奏で溜められた魔力が一気に放出されるかの如く、ギェテナロスの周囲に渦巻く暴風は、蒼い雷に変化していく。

 次の瞬間、空に浮かぶ神々の軍勢に蒼い稲妻が落雷した。

 全身に帯電したまま、神々の姿が変わっていく。
 神体が雷そのものと化し、バチバチと辺りに放電を始めた。

 神の軍勢は、自分の力で樹冠天球を飛行できない。
 ゆえに、ギェテナロスは彼らを自らの秩序の僕へと転変させたのだ。

「ほらー、準備はいいかい、雷人形(かみなりにんぎょう)。飛べないあいつらは、空からの侵入を防げっこないからねー。ボクらの狙いは不適合者の両親だってさ。無力な人間らしいから、さっさと殺してやれば、諦めて界門を<四界牆壁(ベノ・イエヴン)>で塞ぐ気になるんじゃないかなー」

 雷と化した神――雷人形は、眼下のミッドヘイズを睨む。
 転変神の権能で強化されたその魔法人形は、本来の秩序こそ失ったものの、神々の軍勢よりも数段強い魔力を持っている。

 突撃すれば、ミッドヘイズの魔法障壁を軽く貫き、瞬く間に街を破壊するだろう。

「いきなー。それはそれは、青天の霹靂のように。あいつらに絶望を見せてやるのさ」

 イディードロエンドを再び口元に運び、転変神ギェテナロスは雷鳴の如く曲を奏でた。

 蒼き雷光が煌めき、稲妻が次々とミッドヘイズめがけ、落雷していく。

「「竜技――」」

 白き影が、空に舞う。
 <飛行(フレス)>の禁じられた樹冠天球に、それでも自由に舞う者たちがいた。

 翼ある二体の竜が。

「――<霊峰竜圧壊剣(ゲッデオルバ)>ッッ!!!」

「――<風竜真空斬(ダストデルテ)>!」

 霊峰を彷彿させる巨大な竜の突撃と、疾風の竜が如き羽ばたき、その尋常ならざる剣技が落雷した雷人形を斬り落とした。

 後に続くように、ミッドヘイズから何体もの竜が、空へと舞い上がる。
 大きな翼をはためかせ、暴風を切り裂いていくのは、白き異竜とそれを駆るアガハ竜騎士団だった。

 先陣を切ったのは竜騎士の称号を持つシルヴィア、ネイト。
 その後ろには副官ゴルドーとシルヴィアの父リカルドが続く。

 そして――

「ク・イック、ク・イック、ク・イック……♪」

 バリトンボイスを響かせながら、一際大きな異竜に乗り、その男は右腕を突き出す。

 竜の顎(あぎと)を象った<竜ノ逆燐(ノジアズ)>が、鈍色に輝いたかと思えば、空に浮かぶ雷人形の半分を飲み込んだ。

「なっ……ん……!?」

「ク・イック、ク・イック、ク・イックウッウー……♪」

 更にもう一撃、豪胆な<竜ノ逆燐(ノジアズ)>の拳が、ギェテナロスに噛みついた。

「……こ、のっ……!!」

 イディードロエンドから曲が鳴り響き、吹き荒んだ風が<竜ノ逆燐(ノジアズ)>を振り払う。
 ギェテナロスは、自らの神域に侵入してきたその竜人を睨みつけた。

「はー、お前さんの歌もなかなかのもんではあるがなぁ」

 真紅の騎士服と鎧を身につけた大柄な男。
 少々長めの髪に、整えられた立派なひげ。

 その佇まいからは、悠久のときを生きてきた者特有の重さが感じられた。

「魔王賛美歌、こいつはたまらんぜ」

 男は豪放な笑みを覗かせた。

「……誰だか知らないけどさ。邪魔するっていうんなら、容赦はしないよ――」

「まあ、待とうや転変神。互いの名も、志も知らずに戦うほど空しいことはあるまいて。まずは、名乗らせてもらおうか」

 きょとんとするギェテナロスに、男は言った。

「アガハの剣帝、ディードリッヒ・クレイツェン・アガハだ。そして、彼らこそ、我が国が誇る地底最強の竜騎士団よ」

 竜騎士団は、胸の中心に剣を立て、敬礼した。
 ギェテナロスが鼻で笑う。

「アガハ? へえー。神に生かされた地底の民が、ボクたちに逆らおうっていうのかい?」

「そいつはゴルロアナの奴に訊くべきだろうよ。アガハの神は常にここにある」

 拳を握り、ディードリッヒは自らの胸を叩く。

「我ら一人一人の命の輝きこそが、すなわち神の光なのだ。ならば、神族が敵とて恐るるに非ず。全身全霊をもって、なすべきことをなせばいい」

 威風堂々と剣帝は言った。
 その言葉に、竜騎士団たちは団結するように、剣を構える。

「転変神や。エクエスに伝えてやれ」

 樹冠天球の空に響き渡るほどの大声でディードリッヒは言った。

「神の秩序は我らに恩恵をもたらし、恵みをもたらした。されど、アガハの預言を覆し、我らの未来を切り開いたのは、地上より来訪した偉大なる魔王アノス・ヴォルディゴード」

 両の拳を握り、ディードリッヒは全身から魔力の粒子を立ち上らせる。
 揺るぎない意思とともに、鈍色の燐光が発せられた。

「義により、我らアガハはディルヘイドと運命をともにする。たとえ、世界の意思を敵に回し、滅びの宿命が我らに襲いかかろうとも、命剣一願となりて、この未来を切り開く」

 ネイトも、シルヴィアも、リカルドも、ゴルドーも、竜騎士団の誰もが、ディードリッヒと同じ顔つきで、敵である神々を見据えている。

 恐れなど微塵もない。
 彼らにはただ強い決意があった。

「それがあの災厄の日に手を差し伸べてくれた、魔王への恩返しだろうよ。なあ」

 剣帝の言葉に、呼応するように竜騎士団団長ネイトは、魔力を発す。
 子竜特有の<竜闘纏鱗(ガッデズ)>により、彼はその背に霊峰の竜を纏う。

「竜砲準備!」

「「「は!」」」

 白竜の口が開き、そこに真っ赤な炎が溢れ出す。

「放ていっ!」

 ネイトの指示により、竜の口から灼熱のブレスが吐き出される。
 空に浮かぶ雷人形は散開するも、何体かは炎に巻かれた。

「アガハ竜騎士団は、この空域を死守せよ。一兵たりとも、ミッドヘイズには入れるなっ!」

「「「了解」」」」

 雷が如く曲が響く。
 それと同時に、雷人形が竜騎士団に襲いかかった。

 四方八方から雷の速度で飛来するその人形たちに対して、竜騎士団は子竜であるネイト、シルヴィアを中心にして応戦する。

 シルヴィアの剣は雷を上回る速度で敵を斬り払い、ネイトは山に穴を空けるほど広範囲の剣撃にて敵の陣形をぶち抜いた。

「頭の悪い答えさ。アガハの竜人たちは目が見えないのかい? あれはなんなのさ?」

 ディードリッヒと対峙しながら、転変神ギェテナロスは、広大な大地を指す。
 <笑わない世界の終わり(エイン・エイアール・ナヴェルヴァ)>によって、それは四つに割れていた。

 その裂け目は深く、地底の底にまで達している。
 そして今なお広がり、世界はみるみる分断されていく。

 このまま放置すれば、やがては完全にバラバラになり、地上のみならず、地底さえも崩壊させるだろう。

「ボクたちは<全能なる煌輝>が発した微かな光。それだけで、世界はご覧の有様さ。戦っても無駄なことぐらいわからないのかい?」

「さあて、そいつはやってみなければわかるまいて。そもそも、魔王は天蓋を一人で持ち上げるほどの男だ。これがまた難儀なものでな」

 ディードリッヒを乗せた白竜が大きく羽ばたき、ギェテナロスに突っ込んだ。

「世界が滅びゆく危機でもなければ、到底、恩など返せぬではないかっ!!」

「空は移り気、心模様」

 翠緑の風が穏やかに拭き、その空域すべての気流を変化させる。
 その優しい風に触れた途端、白竜は減速し、ギェテナロスはその上を軽々と飛び越えていく。

「翼があれば自由に飛べると思ったのかい? この転変の空で、何者にも縛られないのはボクだけさ」

 神の笛から奏でられる曲が、おどろおどろしく転調する。

「歌おう。詠おう。ああ、謡おう。それはそれは風のように、ときに舞い落ちる木の葉のように。転変神笛(てんぺんしんてき)イディードロエンド」

 ディードリッヒを乗せた大きな白竜が揚力を失う。

 どれだけ羽ばたこうと、飛ぶための気流も、魔力場も一切が重りに変わったと言わんばかりに、ミッドヘイズへめがけて落ち始める。

 それは竜騎士団も同様で、彼らは異竜諸共、落下していく。

「アハハッ。そーら、こんな高いところから竜が落ちてきたら、ミッドヘイズはどうなるかなー?」

 勝ち誇ったように、ギェテナロスは曲を奏でる。
 ますます、落下が加速し、みるみるミッドヘイズが迫った。

「ざーんねん。キミたちは未来を切り開けなかったぁ」

 瞬間――
 ギェテナロスの神眼を、あるものが横切った。

 キラキラと飛び散る破片。

 水晶の破片だ。
 それが、まるで輝く砂嵐のように、転変の空を覆いつくしていく。

 秩序と秩序が鬩ぎ合うように、樹冠天球に、もう一つの神域が出現する。

「……落ちるかぁ。飛べぇぇぇぇっ……!!」

 シルヴィアが<竜闘纏鱗(ガッデズ)>の翼を大きく広げ、竜騎士団全隊を空に引っぱりあげる。

 彼らはいつのまにか、皆、その手にカンダクイゾルテの剣を持っていた。

「これは? 未来神の……至高世界――?」

 訝しむようにギェテナロスは言い、頭を振った。

「そんなわけがないさ。飛べる未来が一つでもあれば、その未来は実現するからって、この樹冠天球を飛べる未来なんてあるわけが……」

「ナフタは否定します――」

 空がぐにゃりと歪み、青緑のローブを纏った少女が姿を現す。
 肩まで伸ばした藍色の髪。右眼には紅く光るディードリッヒの竜眼、左眼には自らの蒼き神眼が輝いていた。

「未来はなに一つ決まってはいません。ナフタの愛とともにそこには無限の可能性が広がり、人々は希望を胸に、よりよい未来をつかみとる。竜騎士団よ、恐れることはありません」

 未来神の静謐な声が、樹冠天球に響き渡る。

「あなたたちの希望が輝く限り、ナフタがその未来を実現します。ともにつかみとりましょう。我らアガハの未来を」

 ナフタの足元に水晶の時計台が姿を現す。
 その空域に出現したのは、ぜんぶで一二の時計台。

 そこから、足場を作るようにいくつもの水晶の橋がかけられていく。

「理想世界の開廷に処す」